仕留めたいのしし東京に来て4カ月以上経った。私にとっては久しぶりの長期滞在。もちろん夫や息子にとっては初めて。イタリアに暮らして14年、毎年1か月の帰国はいつもあたふたしているうちに終わってしまい、心残りになることばかりだったので、1年間日本に滞在できるのはとてもうれしかった。日本に行ったらあれをしてこれをして(あれを食べてこれを食べて)、と出発前はウキウキしたものだ。それとは反対に、ウンブリアの村で仲良くしている人たちに日本に一年間滞在することを伝えると、かなりショックをうけていたようだ。





それでも皆私が喜んでいることを感じ取ってくれ、出発の前には何度もいろんな家族から夕食に招かれた。 自慢のいのしし料理(もちろん自分たちで捕ってきた大切ないのしし肉)や、焼きたてのフォカッチャなどすばらしいごちそうをふるまってくれ、ずいぶんとよくしてもらった。





そして東京に着いた途端、店の仕事やら家族のことやら毎日くるくると駒のように動き回り、あっという間に4カ月。ウンブリアのことはもちろんいつも頭にあったが、電話をする時間も気持ちの余裕もほとんどなく、彼らから時々くる便りは心休まるものだった。毎年9月に解禁になる猟で捕れた、熊のように大きな猪の写真、息子の友達の写真などなど、懐かしいと同時に、あまりにも東京での生活とかけ離れているので不思議な気分にもなった。



 



そしてクリスマスには、別の友人から手作りパンペパートが二つと我が家のオリーブの木から採れたオリーブペーストが送られてきた。その家は今年オリーブの収穫量が少なくなりそうだと聞いていたので、もし余裕があったらうちのオリーブの木の実も摘んで食べてねと言ってあったのだが、まさか私たちにまで送ってくれるとは。オリーブペーストづくりの手間を知っているものとしては、大変ありがたかった。あのペースト作りの大変さと言ったら、大量に作るからかもしれないが、種抜きが永遠と続くようで肩がこって仕方がないし、頭もキ~ンと痛くなる。とても人にプレゼントする余裕はないはずだ。



 



そして12月24日。向こうではクリスマスは日本の正月のようなもので、おめでとうの挨拶は大切だ。ようやくクリスマスの日に村でイタリア人の夫と暮らすアルバニア人のメリータに電話をしてみた。 すると「キョウコ、今年はあなたたちと同じようにブロッコリーを植えたわよ。そしてあなたが作るのと同じブロッコリーのパスタをいつも食べているわよ」、と言われた。ブロッコリーのパスタはもともと南イタリアのもので、私の暮らす周辺の農家で栽培するようになったのは最近のことだ。 皆を招いて何度かブロッコリーのパスタを作ったら、おいしいと病みつきになったそうだ。ブロッコリーのパスタ料理は、ウンブリアの最高のオリーブオイルと実にマッチすると、村の人と意見が一致。同じイタリアとは言っても南と中部、北部ではずいぶんと食べ物が異なるため、10年前にウンブリアで暮らし始めた頃、農家の人にとってはあまり食べ付けていないものだった。ブロッコリーは地中海沿岸が原産なのに、遠い日本の国で育った私の方がブロッコリーをよく知っていたなんて、いかにイタリアが地方によって異なるのかを実感したものだ。



 



このメリータの旦那さんというのが自分の作った野菜と家畜以外はめったに何も口にしない超保守的で知られる人だ。 アルバニアはヨーグルトがとてもおいしく、ヨーグルトを使った料理も豊富だが、旦那さんはそのヨーグルトさえかたくなに食べようしなかった。 アルバニアから持ってきたヨーグルトの種を彼女と私で増やし、いつも、私とシルヴィオと息子、メリータだけが食べていた。アルバニアのヨーグルトは、牛乳やヨーグルトの菌がイタリアのもと異なり、味も強く、種が何か月経っても弱まらなくてとてもおいしい。 
 それからアルバニアではポロネギをたくさん食べるそうで、ネギがないと困っていた私と二人でネギを植えて料理を作り、家族や親せきにふるまってみた。それから何年か経って、気づくと近所の店にポロネギの苗が売られるようになった。メリータの旦那さんは、最近ではヨーグルトもネギも大好きになったようだ。あれだけ拒否していたのに、ヨーグルトを食べない自分の娘2人に、「あんたたち、こんなにおいしいのに、どれだけ損しているかわかるかい?」と真剣に説得している(笑)。 
 そう考えると、私やシルヴィオやメリータのようなよそ者が入ってきたことで、村に広がったこともいくつかはあるのだなと思える。まだ日本食はローマやミラノのように浸透していないけど、なんとなく“スシ”や“ショーユ”を耳にする機会も増えてきたようだし、10年後の村は一体どうなっているか楽しみだ。