buonitaliaのblog

次の日はアルタムーラから北へ、ぼちぼちウンブリア州に向かって行くことにした。プーリア州に入ってから途中、延々とオリーブ畑が続いていた。ウンブリアと違うのは、オリーブの木以外あまり緑がなく、特に海岸沿いに行くほどカラッカラに乾いた土地なことだ。夏のこの暑さでこの乾燥具合は結構つらいだろう。それでも内陸にいくとブドウ畑などもチラホラ、ワシが飛んでいるのも見えてきた。途中お昼ごはんを食べることにしたが、小さな村ばかりでなかなかレストランがない。せっかく南まできているので、バールでパンを買うのはそっけないなあと、ある村で反対斜線をすれ違った車のおじさんに尋ねてみた。「この辺にどっかお昼を食べられるところはないですか?」「おお、それなら坂の下の右にあるロベルトのところへ行ってみな!」「店に行ったらアルフレッドの紹介だといいな!よくしてもらえるよ」「あ、ありがとう・・・・」



 



私はイタリアに住んでから14年、いつもこの「~さんの紹介だから」というフレーズに疑問を持ってきた。なにしろたった今車ですれ違っただけなのに、まるで古くからの友人を紹介するようにしてもらっても、店の人だって信用しないんじゃないかと思うのだが(アルタムーラのおばさんみたいに無視されるよりはいいけど)。でもこの“~さんの紹介”というのはイタリアではかなり重要で効果も抜群だ。旅の情報から、就職の時など人生の重要な分岐点まで、ほんとにいろんなところで遭遇するのだ。



 



さて、すれ違ったアルフレッドさんの言う通り、坂の下に行ったらバールが一軒あるだけだった。なんだあ、お昼はやっぱりバールかあ、とがっかりしながら中に入り、「ロベルトさんに聞きました、お昼に何かありますか?」とシルヴィオが聞く。するとメガネをかけた太っちょのおじさんは、「ああ、ロベルトの紹介ね・・・」と喜ぶ様子はまったくない。 モソモソとそっけない返事に、「うわ~、もしかしてこの人、ロベルトさんのこと嫌ってたりして」などと不安になっていると、店の奥に案内してくれた。そこには大きなガレージのような扉があり、なんと中を開けると、とても広いスペースにテーブルがたくさん並んでいた。うっそー、こんな隠し部屋レストランが裏にあったとは。これならちゃんとしたごはんが食べられると期待も膨らむ。席に着くと、シルヴィオが「何を食べさせてくれますか?」と尋ねた。なるほど、こういったところはメニューがないのが普通らしい。「うちのが作った手打ちのショートパスタを、庭で採れたトマトで和えたものなら。あとこれも手作りのタラッルッチ(乾パンのように固い小さなパンで、輪になっている。前菜などにつまむ)もあるかな。」と言っていそいそと厨房に入っていった。そしてタラッルッチと大きなグリーンオリーブの実がテラコッタの小さな入れ物に入ってでてきた。オリーブの実とこの固いパンをかじっていると、パスタもでてきた。ほんとに家で作った料理と同じように、トマトとパスタの自然な味だけでおいしかった。 外食続きで疲れた胃も元気になって、なんだかほっとした気分だ。あとからかわいらしい奥さんも出てきて、自家製のオリーブオイルも少しわけてもらった。ウンブリアから来たというと、「ウンブリアのオリーブオイルおいしいですよね」といわれてちょっとうれしかった。ウンブリア地方に住んで10年、別の州に行くと、いかに自分はウンブリアになじんでいるのか実感する。日本でも地方によって気質が異なるように、イタリアも南部の人々が普段自分のよく知っている村と異なってとても面白かった。住んでいるといつでも行けるという思いから、なかなか旅行に行かなくなってしまうが、南イタリアはもっといろいろ見て回りたいと思った。(できればもう少し涼しい季節に・・・)。



7月の終わり、南イタリアへ旅に出た。朝起きてからなんの計画も立てず、着替えと洗面用具、地図を持ち、南に向けて出発。車だから、何時にどの列車に乗って何時について、と考えなくてよいので楽だ。私もシルヴィオも計画を立てられないたちなので、大体いつもあっちの方に行こう!と無計画で出発する。



「もし計画を立てても、途中で気に入った場所があったらどうするんだい」というのがシルヴィオの意見だ。




アドリア海側からバリまで高速を走り、そこからアルタムーラという街に着く。ここ数日イタリアは猛烈な暑さで、高原のすずしい気候に慣れている身にこの暑さはキツイ。




シルヴィオが車の中から、背の低い、日に焼けたおばあさんにホテルの場所を訊ねると、無言で眼鏡の奥からじ~っと私達を見つめ、そしてくるりと後ろを向いて行ってしまった。変なよそ者が来たと思ったのだろうか。あっけにとられてシルヴィオと顔を見合わせた。よし、気を取り直して次! やはり色の黒い、ヒゲを生やしたおじさんに、「〇〇ホテルはどこですか」と訊ねる。すると「何しに行くんだい?」と逆に質問された。「だからホテルなんだけど」とシルヴィオが言うと、「だから何をしに行くか言ってくれないと答えられないじゃない!」と怒られた。面白すぎる。そしてようやく私達が旅をしていて、泊まるところを探していることがわかると、急に親切に教えてくれた。
想像していた以上に北部、中部イタリアの人々と様子が異なっていて、実に興味深い。




この街にはハヤブサがたくさんいる。鳩や雀と一緒に飛んでいるのが見える。夜外にでると、いきなりハヤブサの糞が頭に落ちて来た。慌ててホテルに戻ってシャワーを浴び、もう一度気を取り直して外に出る。




地元の料理が食べられるレストランを探して、教えてもらった通りを何度も行ったり来たりするが見つからない。開店はだいたい夜8時半から9時くらいだと聞いている。うろうろしているうちに9時5分前になり、道端でイスに座っている連中に聞いてみると、「ここだよ」と言われた。さっきから5、6回前を通っていたが、真っ暗で電気がついてないので、レストランとは思いもよらなかった。店の人は「あと5分したら開けるから待っていて」と言ってどっしり座っている。




ようやく開いて入ると、店の主人はテーブルに腰掛けて食事をし始めた。接客は若い娘と息子、それに中学生くらいの子供。アルタムーラはパンが有名なところだ。さっそくでてきたパンとチーズを食べると、キメの細かいほんのり黄色っぽいパンがほんとにおいしい。小麦の味が、ウンブリアで普段食べているパンとまったく異なる。小麦粉と水、塩、イーストだけでここまで違うものができるのだから、パンにはいつも驚かされる。まわりを見回すと、ウエイター(息子)が知り合いのお客さんの横に座ってしばらくしゃべりこみ、遠くからヒゲを生やした男が時々私達の方を見ている。この男は会計の時もじっと見ていて、目が合ったのでシルヴィオと一緒にさようなら、とニッコリしてみたが、グッとつまって、でも目だけは相変わらずジロジロとこちらを見ている。世間様向けの笑顔とかもちあわせていないところがまた、土地柄を表していて面白い。南イタリアに親戚がいる知人が、無口でよそ者を信用しない、でも会いに行くたびに姑さんが毎日異なる手打ちパスタでもてなしてくれると、話していたのを思い出した。




夜も暑くてなかなか寝付けなかったが(ホテルのクーラーは音ばかり大きくて全然きかなかった)、明け方ハヤブサの声で目が覚めた。東京でカラスの鳴き声で目覚めるのとはえらく違う感じだった。


子供の頃、テレビで伊藤みどり選手のトリプルアクセルを見て以来、フィギアスケートが大好きになった。イタリアではフィギアスケートはマイナーなスポーツで、テレビではあまり放送しない。 
有料のスポーツ放送ではたまにやっているが、なにしろ番組変更が多く、時間を合わせてテレビの前にスタンバイしていても肩透かしを食う。「時間が変更になりました」のお知らせテロップなんてないので「あれー?・・・、あれー???」としばらく違う番組を見続けてがっかりするばかり。イタリアのスポーツ番組はサッカー、サッカー、サッカー、これでもかというほどサッカーなのだ。バレーボールでさえ、南米で世界選手権が行われた時、イタリアチームは優勝したにもかかわらずテレビで放送してなかった。(イタリアは男女ともバレーボールが強い)



 そんなわけで、今度の長期日本滞在中、日本のテレビで存分にフィギアスケートを楽しめた。楽しめたけど、いろいろと腑に落ちない結果で見ていて悲しくなった。あんまり不満に思ったので、ネットでいろいろ検索していると、ソニア・ビアンケッティさんのサイトにたどりついた。お、この人イタリア人じゃん。しかも元ISU(国際スケート連盟)の会長だった人。 
シルヴィオにこんな人がいるよと伝えると、シルヴィオはさっそく彼女にメールを送ってみた。すると驚いたことに次の日に返事が返ってきた。なんでも、アメリカでフィギアスケートのジャッジが学ぶための教科書を出版しているそうで、本も送ってくれた。採点基準やショート、フリープログラムのシステムを作った人でもある。

どうしてオリンピックの結果がこうなったか、選手の感想など何度もメールで詳しく教えてくれてとてもうれしかった。日本ではきっと、海外のスケート関係者がどう思っているかを知りたがっているはずだ。そう思って、いくつか日本のマスコミにインタビューできますと売り込んでみたが、なしのつぶて。

 日本語でどういうか知らないけれど、フィギアスケートはイタリア語では「芸術的スケート(Pattinaggio Artistico)」といい、他のヨーロッパのどの国の名詞もこの芸術という言葉がついているとソニアは言っていた。

 本の御礼に私の和食の本(イタリア語)とオリーブオイルのおいしい生活(日本語)を送った。シルヴィオが、ソニアに「この和食の本でトリプルアクセルを決められますように」と手紙に書くよう言ったので、相変わらずすごく良い言い回しを思いつくなと感心して、手紙にその通りつけ加えた。

 何週間かして、ソニアから本が届いたとメールがきた。そしてそこには、さっそく復活祭にむけて和食料理を試しているが、4回転アクセルになりそうだと書いてあってまたまた感心した。この笑いを含めた物言い。イタリア人て、言い回しがいつも絶妙だなと思う。思ったことをストレートに伝えるのではなく、いつも一ひねり入れていろんな意味を含めるような言い回し。たとえば、以前デンマークから日本とイタリアに同時に絵ハガキを送ったら、日本には4日で届いたのに、イタリアには1カ月以上かかって着いたと話しをした。友人はあきれて、「まあ、イタリアに入ってからは徒歩できたのかしら」と返してきた。なんか怒りを通り越して笑いにかわってしまった。

 ソニアは今回の世界選手権の記事を書いているが、きっと今度の記事はKyokoも気に入るはずだと言っていたので、楽しみにしている。



 



ソニア・ビアンケッティさんのサイト



http://www.soniabianchetti.com(英語)



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