buonitaliaのblog

2004年02月

今日はえらい目にあった。ここ1週間ずっと雨と風で天気が悪いのだが、今日は朝から雷がなり、雹も降った。

今の家は500年前に建てられた古い家で、その都度手直しして今にいたる。そのせいか、最初来た時は電気の配線は昔のままだったしガスもなくてボンベだけ、という状態だった。

電気もガスもボイラーも直したのだけれど、今でも雷がなるたびに電気がとんでしまう。電気がないと、電話もできない、お湯も出ない、暖房もつかない三重苦になるのだ。

原因はボイラー室のどこかに水がたまってヒューズが飛ぶらしいのだが、それにしてもせっかく新しくしたのに、問題は解決していないままだ。

イタリアの水道屋はかなりひどいように思う。今の家だけでなく、ローマに住んでいた時もそうだった。トイレや風呂などは排水が悪いし、しょっ中問題が起きる。

あんまり修理にばかり来てもらうせいか、水道屋は大もうけだ。今日もあと15分で行くから、というので昼ご飯も食べないで待っていたら、2時間たってもこない。お腹が空いたのでパスタを茹で、きっと茹であがったら来るに決まっている、と思っているとドンピシャで来た。

*イタリア人はよく「あと2分」とか言うけれど、本当に2分のわけがない。しかし言い方がいかにも”2分”なので、つい「そうか、2分か」と思ってしまう。私が信用しやすい性質なのではないと思う。

そして来ると必ずどの修理屋もその家の人をこき使い、アシスタントにする。これがまた頭に来る。「あれもってきて」、「そこ持っていて」、「今度は閉めて」と。1人でできないならアシスタントを連れて来い!と言いたくなる。

命令の仕方も調子よくて、ついついのせられてしまい、気がついたらアシスタントになっていることばかりだ。なんで私が!と腹がたつ。

今日もそんなこんなで、終わった時にはすっかりパスタが冷めてしまい、腹ぺこなのにお昼は台無し、アシスタントでクタクタだった。これで直っていればいいのだが、雷がなればまた同じなのだ(!!!)。

今日子



午後4時半からこちらのテレビでドラえもんをやっている。子供と一緒に見ていると(子供を理由にしている)、日本のと違っていておもしろい。

日本のアニメはたくさんやっているが、ドラえもんは今まであまり人気がなかった。みんな見ても意味がわからない、とかピンとこないと言う。カーニバルではポケモンやセーラームーン、などの衣装を着ている子供が多い。田舎だと怪物くんのはりぼてがあったりする。

しかし今まで10分しか放映しなかったのが30分にかわったので、もしかしたらすこしは人気がでてきたのかもしれない。

一番違和感があるのはドラえもんの声の違いだ。あんな声の人を見つけられるとは思わないが、ただのダミ声で、ちっともかわいくない。タイトルもイタリア語で訳しきれていないので意味がよくわからない。

今日可笑しかったのは、のび太のママが「おやつはチョコレートのビスケットよ」というのでもしや、と思ったらやはりどら焼きのことだった。私と息子はどら焼きだ!と言って笑ったのだが、一緒に見ていた近所の男の子は何がおかしいのかわからなかった。

どら焼きがどういうものか説明しづらい。スポンジケーキに豆のジャムと言ったら変な顔をされた。

他にも画面によく日本の文字がでていて、誰にも読めないのに私だけ読めてちょっとうれしい。その都度みんなになんて書いてあるか聞かれる。でも「コロコロコミック」とか「クリスティーナ剛田」と読んでみても、やはりなんのことかわからない場合が多い。

日本語を勉強するイタリア人が増えている理由のひとつに、「日本のアニメにでてくる文字が読みたくて」というのがある。同じ年代の人が「アタックナンバーワン」には燃えたわ!」と言っていた。イタリアでもあれがウケるなんておもしろい。彼女はピアノを本格的にやっていたにもかかわらず、親に内緒でバレーボールをやっていたそう。

そういう人や小さな子供に、私はドラえもんもドラゴンボールもアタックナンバーワンも全部知っているよ、というと羨望のまなざしで見られるのだ。まさかこんなことでイタリア人と意思の疎通があるとは思わなかった。

今日子



近頃腸内のガスを減らす薬の宣伝が盛んだ。新聞や雑誌、薬局でもよく目につく。そうか、きっと誰もおおやけには言わないけど、みんな同じように困っているに違いない。

私は日本に住んでいた時便秘体質で悩んでいたのだが、(変な話で申し訳ない)こちらにきて全く正反対に変わってしまって驚いていた。そういう話は私だけでなく、たくさんの留学していた日本人の女友達からもきいた。

なぜなのかよく考えてみると、やはり野菜を大量にオリーブオイルと一緒に食べ、米が減ってパスタが多くなったからという結論に達した。

日本の食生活で、野菜を大量にお皿にいっぱい食べるということはあまりないように思う。小鉢にちょっと、米や肉、魚と一緒に食べる程度だろうか。それが、特にアクの強い野菜のナス、ピーマン、アーティチョークなどを、おいしいのでそればかりたくさん食べると大変なことになる。

料理法も、この方がおいしいからと野菜を直接オリーブオイルで炒め、茹でない場合が多い。アーティチョークなどはものすごくアクが強くて、皮をむいて下ごしらえをしている段階で手が真っ黒になり、黒いのが2、3日のかない。

これを最初に茹でてアク抜きすると、たくさん食べても後で困らないが、味がものすごく落ちる。菜の花やナスなども同様に、大量にフタをしたままゆっくり弱火で炒める(水は入れない)。すると野菜の味がしっかり残っていて、なおかつかさが減っていてたくさん食べられる仕組みになっている。

焼きピーマンのオイル漬けなども、甘い赤ピーマンがあまりにおいしくて大量に食べたりすると、あとでかなり苦しむ。

あと気をつけたいのが、豆類だ。豆もたくさん食べると、お腹がドンドコドンドコとコンサートになる。これも甘く煮た豆を小鉢にちょっと、というのではなく、お皿にたくさん食べるからか。

対策として、豆を煮る時に水から茹でて、一度沸騰したらアクがたくさんでるのでそのお湯を全部捨ててしまうことだ。こうすると幾分ましになる。

いつもきれいに気位たかく、上品にしているイタリア人女性。しかしダイエットで野菜ばかり食べている人はきっとお腹がいつもコンサートになっているのだろう。これからちょっと見る目が変わるかも。

今日子



イタリアに来ておいしいジャガイモの味というのを知った。今まで食べていたジャガイモがうそのようだ。甘味があって香りが高く、お菓子のような、炭水化物と野菜の間のなんとも言えない味だ。

このおいしいジャガイモは油と大変よくあう。味噌汁や肉じゃがにしたらこの味はとんでしまう。ポテトサラダのマヨネーズでは、マヨネーズの味にかき消されてしまう。

オリーブオイルでフライドポテトにすると、じんわりオリーブの油が染みて次から次へと口の中に。フライパンで炒めてもいいし、オーブンで焼いてもいい(もちろんバターとでも)。

チーズとも抜群の相性で、皮付きジャガイモ1個を炭火のなかで焼き、十字型に少し切り身を入れ、ゴルゴンゾーラチーズをジャガイモの熱でとろけさせてみる。するとゴルゴンゾーラの複雑な香りと塩加減でさらにジャガイモの甘味が増し、とてもリッチな気分になる。

ヨーロッパで一番ジャガイモのおいしい所はオランダだと言われている。北欧ではパンやパスタ、お米のように、炭水化物として本当によくジャガイモを食べる。オランダ人の友人はジャガイモが食卓にあるとホッとすると言う。彼の言うように、ジャガイモとは気持ちを和やかにさせるような味だなと思う。

イタリアのジャガイモも、寒い地方では良いものができる。アブルッツォ州の山のふもとにある街レオネッサ(メスライオンという意味で、街の名前なのがかっこいい)では、収穫時期になるとジャガイモのサーグラ(収穫祭り)をやっている。4月になったらうちでもまたジャガイモを畑に植える楽しみができるので、待ち遠しい。

今日子



昨日、今日とローマではアフリカから来る砂のたくさん混ざった雨が降り続いた。車や地面などすべて砂だらけで、まるで桜島の噴火したあとのようだ。北イタリアでは雪が降っているのに対し、中心から下は雨で気温も19度と高い。

私の住んでいるところに比べて、ローマはいつも湿気が高くなまぬるい空気がただよっている。土、日はローマ市民が地方にでて少なくなるので、街が空いていて好きだ。時々ならここもいいなと思う。ローマは歩いていると、昔の歴史的建造物が普通に存在していて、本当にきれいな街だ。

私の夫はローマで生まれ、ローマで育ったが、いつも「ローマにスイス人が住んでいたらよかったのに」と言う。街はゴミだらけ、お店や銀行、公共機関はみんな対応がひどく悪い、車の運転は攻撃的ですぐに「アーウ!」とどなりちらし、みんなケンカ腰。

以前住んでいたところはローマの中心で、街で一番排気ガスの汚染がひどいところだった。今では汚染対策として、月に1回か2回車を運転しない日曜というのがあるが、にもかかわらず汚染は2倍になったという。家の中は外の喧騒がほとんど聞こえないところだったが、一歩外にでると騒音と匂いとで頭がいたくなるようだった。どうして自分はこんな環境の悪いところに住んでいるのだろうと、だんだん不幸な気分になった。そしてついに田舎に引っ越すことを決意した。

昨日前の家の近くを通ったら、新しい仕事場ができていた。何かと思ってのぞいてみると、なんと映画で使う死体人形を作る場所になっていた。中には血だらけの死体がゴロゴロしていてギョッとした。また田舎に越してよかったと思う理由が1つふえたのだった。

今日子



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