buonitaliaのblog

2005年02月

ここ2、3日、夫・シルヴィオの原稿の訳をやっていて大変だった。シルヴィオは新潮社「フォーサイト」で時々記事を掲載している。彼はイタリア経済、ローマ法王のことなど、イタリアのニュース全般を扱っているが、ここでは英語の堪能なフォーサイトの編集者が訳をしている。今回は別の雑誌、小学館「SAPIO」にローマ法王のことで依頼がきた。が、突然のことで締め切りまでわずかしかなかったため、私がイタリア語訳をやることになったのだ。量が多くて、夜中まで意識もうろうとしながらがんばった。昨日の晩、疲れきって仕事をしていると、なんだかニンニクの匂いがするような気がする。おかしいな、今日はミネストラだったし、ニンニクの匂いなんてするはずがないと思い直していた。しばらくしてやっぱり変だと思い部屋からでてみると、シルヴィオがニコニコしながらやってきた。「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを作っているんだ」という。時間はまさに夜中の1時。「ウッソー!なんでそんなことしてるの?」と言いつつ、私のお腹は思いがけなくパスタが食べられることで一気に幸せ気分に突入した。こうみえても、私は体重にはとても気をつけている。だからと言って痩せているわけではなく、増えるから気をつけるのだが。だから夜中に何か食べることなんて、子供が生まれて以来一度もなかった(子供が生まれて体重も増えたから)のに。

それにしても、ニンニクとオリーブオイルの匂いはなんて食欲をそそるのだろう。原稿を書き終わって余裕のシルヴィオは、「出来たよ?」と鼻歌まじりだ。彼の作ったアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノは、ちょっと工夫がしてある。そのままだとつまんないから、たっぷりのニンニクとオリーブオイル、ペペロンチーノの他に、アンチョビを2、3本、オリーブのペースト(もちろん私が作ったやつ)を一さじ、オレガノを少々でリングイネを和えて食べる。ニンニクは細かすぎず、小さく切ってある。よけようと思えばよけられる大きさを、ゆっくり弱火できつね色になるまで炒めてある。アンチョビもその中でゆっくり炒めて溶けてしまう。

お皿を洗うのも面倒だから、フライパンから直接二人で食べることにする。たくさんフォークに巻き付けて一口目を頬張る。一瞬置いて、よく漫画でみるように、鼻と耳からポポポン!と蒸気がでて目が白黒になった。なんて辛いんだ!一体どのくらいペペロンチーノを入れたのか。作った本人も辛くてむせている。それでもオリーブの味やアンチョビの味で深みのある、こんなに辛くなければすばらしくおいしいパスタだった。「遅くまで仕事がんばっているから、眠気覚ましに辛くしたんだけど、よく効くでしょう?」とシルヴィオ。たしかに食べた時はバッチリ目が覚めたけど、やはり私のお腹は一杯になると眠くなるので、結局その後1時間と持たなかった。前回アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノの話をしたので、シルヴィオは作ってみたくなったようだ。ちょっと工夫をするとこのパスタも満足のいくものになる。ひとつだけ、今度から辛いときは食べる前に言ってもらうよう、お願いしたい。

今日子



イタリア料理はニンニクをたくさん"食べる"というふうに思われている。たしかにニンニクはオリーブオイルとのコンビに欠かせないが、私の見た限り、ニンニクを細かく刻んで料理してそれを食べるという人はあまりいない。そういう料理もたまにあるが、たいがいの人はニンニクの皮を剥いたら、そのまま、もしくは包丁かなにかで潰して香りをだし、食べる時によけて食べる。よけて食べるにはコロンと一かけの方がよけやすい。

食べないのはにおいが気になる、それから消化が大変だからという。食べるといつまでもゲップと一緒にニンニクの臭いが残っていやなのだ。万が一食べた場合、「あーあ、当たりだった」と皮肉る。

では有名なアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノはどうかというと、実は私は10年イタリアにいて、未だに食べる機会がない。あのパスタは一人暮らしの男性のパスタだとか、夜中の1時に遊んで帰ってきて小腹が減ったので、何もない台所でパッと作って食べるとか。レストランでも見ないし、近所の農家の主婦が料理しているのも見たことがない。数ある料理本でも、でていないことが多い。

アーリオ.オーリオに代わって他の家庭でよく見かけるのは、"パスタビアンカ"というトマトソースのかかっていないパスタで、茹でたパスタにオリーブオイルとパルメザンチーズをかけて食べるものだ。子供も好んで食べるパスタで、こちらの方がアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノより単純においしいし、栄養もあるというわけだ。もちろん、ニンニクをこよなく愛するイタリア人もいるだろうし、ニーノ・マンフレッド(故)というイタリアの有名な俳優は、体に良いからと毎日生のニンニクを2カケ噛まずに飲み込んでいたそうだ。噛まずに飲み込むことでにおいが出ないという。

イタリア人がイメージする、一般的にニンニクをよく食べる国に、韓国とフランスを挙げる。特に南フランスの辺りはニンニクを刻んで料理に使うし、ニンニクのスープなどもある。韓国料理のニンニクも直接口に入る。私は中華料理を作る時、ニンニクをみじん切りにするのが嫌だなあと常々思っていたので、近頃みじん切りから解放されてよかったと思う。タマネギもそうだが、滑ってズレやすくきれいに切れない、それから誤って手を切ってしまったり、手に臭いがついていつまでも残ったり、なんとなく切ったあとに不満が残る。

もうひとつ、ヨーロッパのニンニクはアジアのニンニクと少しにおいが違うようだ。アジアの方が湿気が多い分、においが重たい。反対にヨーロッパのニンニクは湿気が少なくさっぱりピリッと香りが違う。唐辛子にも同じようなことが言える。だが最近はイタリアでも中国産のニンニクが増えてきて、自分達の分のニンニクも作れないのかと驚くイタリア人もいたりする。中国産の子供のおもちゃが世界で90%を占める中、今度はニンニクまでも中国産になりつつあるなんて、恐るべき、中国パワー。

今日子



1月に塩漬けにした豚の腿は、30日から40日で塩抜きをする。全体に覆われた岩塩を除け、腿一本が入る大きな容器に水を入れて一晩漬けておく。この容器は子供が生まれた頃子供のお風呂にしていたものだから、今豚の腿一本を入れていると思うとなんだかおかしい。大量に使った塩は、農家では鳩(もちろん食用)のエサにするそうだ。鳩は塩分をよくとるそうで、そうすることで鳩の肉の味もおいしくなるのだという。私に生ハム作りを教えてくれるカポッチ家の嫁・エミリアおばさんの話では、彼女の母親はこの使い終わった岩塩もきれいに水で洗ってから、自分たちの料理用に使っていたそう。私は鳩もいないし、洗うのも大変だし(なによりも、塩なんて安く買えるしという思いがある)、おばちゃんの鳩にどうぞ、と差し出す。鳩には塩分のとりすぎに気をつけてほしいと思いつつ。

次の日、水から取り出した腿を白ワインできれいに洗う。消毒の意味がある。洗ったら半日乾かし、夕方にはニンニク丸ごとをまんべんなくこすりつける。小さく刻んだりせずに、香りがつけばよい。次にコショウを全体にたっぷりまぶし、先端の骨が見える部分には粉末のペペロンチーノを塗り付けておく。骨の部分から雑菌が入りやすいからだ。

これで3、4日ねかせておき、専用のガーゼの袋のようなものに入れて1年間干しておく。場所は風通しがよく、湿気が少ない、暗くて涼しいところというのが条件だ。もちろん、生ハムの作り方にも地域によっていろいろあるだろうし、もっと言えば家庭ごとに違うだろう。だが自分で作ったという満足の他に、市販のものとちがって肉の質が良いこと、保存料を使わないこと、などの利点がある。それと生ハム一本家にあることで、脂身や固い部分などを料理に使って幅を広げられることだ。トマトソースに、豆の煮物に、トルテッリーニ(生ハムや豚ひき肉を混ぜて生パスタで包んだもの。餃子のようなもの)などなど、これがあることで何倍もおいしい料理ができる。売っている最高級の生ハムでなくても、普通に自宅でおいしい生ハムを常食として食べることは日本人の私にとってはとても興味深い。

昨日ちょうど日本から送ってもらった麹を使い、みそを作ってみた。イタリアで自家製みそというのも不思議なものだが、イタリアにいるからこそ、おいしいみそ汁が飲みたくなった。以前日本でいただいた、自家製みそを使ったみそ汁の味がずっと忘れられない。やはりどんなに値段のはる市販のみそよりも美味で、こんなにおいしいみそ汁が飲めるのならウンブリアでもがんばって作ってみようと一念発起した。みそも生ハムも、保存食として昔の人が考えだした、保存料をまったく使わない食料だ。今の食生活で化学調味料や保存料を一切省いてしまうのは大変なことだし、アレルギーがなければそこまで神経質になることもないだろうが、昔ながらの保存食というのは本当に"面白い""おいしい""体にいい"のだ。

今日子



先週1週間はローマに滞在し、やっとウンブリアに帰って来た。1週間も何をしていたかというと、自宅に新しく薪ストーブをつけるので、ストーブを取り付け、屋根に煙突をつける工事のために避難していたのだ。このストーブは昨年寒くなる前に購入したのだが、5、6人の水道屋に工事を断られ続け、やっとこさ取り付けがかなったものだ(忙しいから来られないという理由だったが、本当にイタリアの水道屋には参った)。

ストーブは昔ながらの薪ストーブで、横にオーブンが付いている、レトロな雰囲気満点のものだ。上に鍋ややかんをかけておけば、料理もできる。このストーブ一台でだだっ広い家全体を温めてくれるので、今まで大金をかけていたガス暖房にもおさらばでき、一石二鳥とはまさにこのことだ。友人の家で一目見て気に入り、以前からほしかったのでとてもうれしい。もともとは北ヨーロッパのタイプらしいが、なにしろデザインが素敵だ。薪ストーブなんて薪をいちいち運ぶのが大変だし、ちょくちょく薪を足さなければならないし、大変だからやめた方が良いというのが水道屋の話だった。しかし私は毎日暖炉に薪を運び、火をつけてゆっくりと燃えていくのを見ていてもちっとも嫌ではない。

最近は薪ではなく、木のクズを加工してよく燃えるようにした"ペレット"というのが人気で、軽いし燃える時間もゆっくりで、一度入れたら34時間保つものがある。水道屋はそちらの方がいいと言っていたが、値段もこのストーブの倍はするし、料理はできない、デザインもいまいちということで、あえてレトロなストーブを選んだ。この辺りの田舎の人は、便利なものに対するあこがれのようなものがある。一方都会で育った私には、不便でも昔ながらのもの対するあこがれがあり、対照的なのが面白い。

オリーブオイルの搾油所では、オリーブを搾ったカスを燃やして暖房をあたためるという所もある。搾ると大量にでるカスを捨てるのは問題があるので、効率よく燃料にするそうだ。搾るのはちょうど寒くなる時期なので、なるほどよくできていると感心する。

薪は一番質の良い樫の木でもときわ樫という種類を使う。値段も他の木に比べると高めだが、一度安い薪を試してみたら高くても納得した。安いものは、燃えた時に熱の元になる炭が少ししかでない。これではいくら燃やしてもなかなか暖かくならないのだ。

今の所、このストーブを使って一番やってみたいことは、鍋に野菜をたっぷりと水、塩を入れてミネストローネを作ることだ。「ゆっくりやさしい火で長時間煮たミネストローネのおいしいことといったら」と年配の友人が言っていた。子供の頃おばあちゃんがストーブで作っていたミネストローネの味が忘れられないそうだ。私はその話が忘れられなかったので、まずはこれを試してみたい。

そしてオーブンだ。薪のオーブンは500度くらいま温度があがるので、さっそくこれでピザを焼いてみたいなど、あれこれ考えてしまう。とりあえず、お客が来たのでいつでも沸騰しているヤカンで、さっとお茶を入れることができて満足する。

今日子



ウンブリアには海がない。そのおかげというか、海に大量に押しよせてくる観光客がいなく、景観がそこなわれていない。海があると、周りにペカペカしたホテルやレストラン、行楽施設が並び、ガチャガチャして街が荒れてしまいがちだが、それがない。ウンブリアに拠点を移す人は、そういったガチャガチャはもう十分味わって静かにしたい人々が多い。トスカーナの田舎のように、完璧にきれいで、人の手が入り込み、住んでいる人も"トスカーナ"に住んでいることを誇りに思っている人とは少し違う。もっと素朴な雰囲気がある。ウンブリアの観光地で有名なペルージャ、アッシジよりやや小さい街の、トーディ、スポレート、トレーヴィ、などはすばらしい。トーディは何年か前にアメリカの大学の調査で、世界一住みやすい街というデータがでたところだ。住みやすいというのは、自然環境、病院や公共施設、食べ物、などを総合で調査してでたものだ。落ち着いた中世の街並みが残り、おいしいものも多く、お金儲けのためだけのお土産屋も少ない。小さくてかわいらしいホテルやおいしいレストランなどがたくさんあり、本当の意味で観光地として成功している。さらに小さな街でも、美しく、そして住み心地が良い。生活は派手ではないが、自然に恵まれて豊かなのだろう。人々の気持ちが荒んでいない。

今年のイタリアワインは、最もおいしいワインにアルナルド・カプライという、ウンブリア州・トレーヴィ近くのワイナリーのワインが選ばれた。ここにはおいしいレストランとホテルがあり、会社はレース編みの会社として500年の歴史がある(前に私がテーブルセッティングの受講に行ったところだ)。他にモンテファルコのワインも質が良くて名が知れている。

そしてオリーブオイル、これもオリーブオイルを生産している州の中では一番生産量が少ないが、一番"質が良い"と専門家が言う。質が良いと言うのは酸度が低いとか科学的なこともあるけれど、ようするにおいしいのだ。うちの周りのオリーブオイルは、さしずめ魚沼産こしひかりと言ったところだろうか。

子供が生まれる前、よく夫と自転車旅行をしていたのだが、ウンブリアを北から南までこまかくまわってみた。自転車だと、車や電車と違って疲れたら次の村までたどり着けないため、思いもよらない所で寝泊まりをすることになる。これがまた面白い。こんな所にホテルがあったのかと思うような場所を見つけるのがとても楽しかった。1日に60キロから、多い時で80キロも走る。

今住んでいる所はそうやって見つけた所だ。どこまでも続く丘と麦畑にオリーブ畑があまりにきれいだったので、自転車で走りながら「この辺りに住みたい!」という一言で家探しが始まったのだ。イタリアでの家探しの話はまた今度ぜひ。

今日子



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