buonitaliaのblog

2005年05月

いよいよ来週の火曜日には日本に出発する。出発前で料理教室の準備(また水彩画でレシピを描きました)や本の仕事、原稿の訳、などなど、とにかくいろいろなことをしなければならなくて行く前からヘトヘトだ。それなのに後から後からお客さんがおしよせてくる。バカンスで遠くから来る人や、いつもの友人達。シルヴィオの年齢の友人は皆引退して優雅な生活をしている人が多い。こういう人達の前で、仕事が忙しいから会えないと断るのはなんとなくかっこ悪い。

今の時期は春になって緑が一斉にでて、一年のうちでも目を見張るようなきれいな季節なので、部屋にこもって仕事をするだけではもったいない。せっかくすばらしい天気だし、お昼を一緒にどうぞ、と招待することになるのだが、こういう時イタリアの食事は便利だなあと思う。

忙しい時のピクニックには、デパートのお惣菜というのがないので、生ハム、モルタデッラ(ソーセージの大きいもの)、チーズの盛り合わせ、パン、メロンや他の季節の果物というのが定番だ。肉やチーズと野菜の代わりの果物、そしてパンがあれば誰でも気軽にピクニックができる。

ピクニックというのはもちろんどこかにでかけるわけではなく、庭での食事のことを言う。皆太陽の下で食事をすることを心から愛している。

暖かくなって花の咲き乱れるテラスに、冷たく冷えた白ワインとハム類、チーズ、パン、メロンを切って並べ、好きな用にとって手で食べる。ハムをたくさん食べるとやはり塩分が多いので、甘くて水分の多いメロンがあって助かる(メロンはもちろん日本のメロンのように高くない、お手軽な果物と言える)。

こういう食事は常時食べるのにはあまり体に良いとは言えく、たくさん食べると胃にもたれる。しかし忙しい時には大助かりで、主婦にとっては強い味方なのだ。

食事が終わったら皆好きなようにくつろいで、本を読んだりおしゃべりしたり、ずっと一緒にくっついているわけでもない。お客さんでもさりげなくお皿を下げて後片付けをするところも民主的だ。誰か一人だけが働くことを嫌がる。お客さんになる方も招待する方も、どちらも"お客さん慣れ"しているイタリアの人達のやり方がステキだなと思う。習うのに時間がかかったが。

今日子



息子のトモは幼稚園が終わると、いつもとなりのカポッチ家のガブリエーレと遊ぶ。年も1歳しか変わらないので、生まれた時から一緒なのだ。夕食をお互いの家ですませることも多いのだが、今日もガブリエーレがうちで夕食を食べていくことになった。

しかし今日の夕食は和食にしようと思って白いご飯を炊いて準備していたので、不安になった。はたしてガブリエーレは和食を食べるだろうか?以前息子が大好きな海苔をバリバリ食べていると、あんまりおいしそうに食べていたせいか、それを見たガブリエーレが「僕も食べたい」と言い出した。一口食べたガブリエーレは歪んだ顔で「僕、こういうの慣れていないから・・・」と吐き出した。その時の変な顔といったらなかった。

今日の夕食は白いご飯としょう油と酒に漬けて焼いた牛肉だ。イタリアでも都会にでれば外国の料理を食べたことがある人も多いが、ここでは和食どころか、隣国のフランス料理も受けつけない人が多い。「しょうゆって体に悪いんでしょ?」と真顔で聞かれるし、そもそもしょう油を知らない人の方が多いくらいだ。

なんにも食べられないとかわいそうだから、チーメという、野生のアスパラをさらに苦くした野草の卵焼きを作って一緒に出すことにした。これはこの辺りではよく知られているこの時期に薮の中に生える植物で、先の方をサッと茹でて苦みをとり、卵焼きにして食べるのだ。イタリアの卵焼きは中に柔らかく炒めたズッキーニなどの野菜とパルミジャーノを入れて焼く、野菜主体の卵焼きがほとんどで、このチーメもその一環だ。そういえば日本でもほうれん草入りのオムレツや具沢山のスペイン風オムレツなどがあったことを思い出す。

卵焼きはフランスのオムレツのように中が半熟でふんわり焼くのと違い、しっかり中まで火を通すことが多い。チーメの卵焼きはほろ苦さと卵の風味が調和されてとてもおいしい。

さて、夕食がはじまって、初めての和食スタイルにガブリエーレは興味津々だ。まず牛肉を食べてみて、「うん、おいしい」とどんどん食べるではないか。しょうゆ味でも大丈夫らしい。そして初めて食べる日本のお米に、「このお米固いね」と不思議な感想。日本の白いご飯はイタリアの白いお米のようにアルデンテではないし、どちらかと言うと柔らかいのでは?と思うが深く追求しないことにする。

そしてチーメの卵焼きもおいしそうに食べ、塩の味もしない白いご飯が最後に残ってしまった。味がしないと嫌なのかと思い、お土産にいただいた佃煮をあげてみる。すると「うわ~、こんなまずい物は食べたことがない」と渋い顔で水をがぶ飲みする。次に横でトモがおいしそうに食べているスグキ(京都のカブの漬け物)を見て、これも食べてみたいと言う。なんでもトライしてみる質らしい。そしてスグキを一口食べてみて、「これはおいしい!」と言い、お皿に山盛りスグキを食べて帰った。スグキなんて日本の子供でも嫌いな子は多いだろうに、意外だった。でもまあ、お腹いっぱいで帰ったからよしとしよう。

今日子



季節ものということで、近頃は空豆をよく食べる。生で食べたり、グリーンピースと煮たりする。今日はリゾットにしてみた。空豆は日本の空豆より小ぶりで柔らかいのが特徴で、生でも食べられる。リゾットでもパスタでも火を通す時は、サッと茹でて彩りよくアルデンテにするのではなく、柔らかくして米やパスタによく絡むようにするのがコツだ。庭に生えているアスパラが何本かあったので、これも一緒にリゾットに入れてみる。いろいろな種類の緑の野菜を混ぜて食べるのはおいしい。アスパラ、グリーンピース、空豆、インゲンなどなど、なんでもいいから野菜をたっぷり食べることが大事なのだ。

リゾットの作り方は、空豆とアスパラを蒸して柔らかくし、残った蒸し汁とブロード(肉でとったダシ)、なければブイヨンを入れて熱しておく。蒸し汁には野菜の香りがたっぷり凝縮されているので、捨てないで使う。いつものようにタマネギをみじん切りにして30分ほど弱火で炒め、そこに生のリゾット用の米を入れる。そして白ワインをカップ1杯ざっと入れてアルコールをとばしたら熱々のブロードをお玉に1~2杯ずつ入れてはその都度かき混ぜる。それを繰り返して10分~15分経ったら空豆とアスパラも一緒に入れ、さらにブロードを入れながら混ぜて火を通す。20分から25分程したらパルミジャーノ(あればペコリーノ)をカップ1杯、バターを一かけ入れてすぐに火を止めて出来上がりだ。途中で塩加減も調整することも忘れないようにする。

空豆のホクホクした感じとお米がとてもよく合い、また違った食べ方を楽しめる。アスパラも空豆も緑が濃く、ほろ苦さがお米と緩和されておいしいのだ。

先日「近頃の野菜はあまりにも消毒液や殺虫剤が多いので、購入する場合は時々産地を変えて選んだ方がいい」とイタリアの新聞にでていた。そうすると同じ毒を体に蓄積することを避けられるというのだ。恐ろしいことだ。イタリアは野菜がおいしいと言われているけれど、10年前私が来た時と最近の野菜や果物の質の低下といったら目を見張るものがある。やはり種類は少なくても自分の庭で採れる野菜を地道に食べていこうと心に思う。

今日子



ここ3、4日はシルヴィオの小学館サピオ用原稿の訳でギンギンになっていた。前回は前のローマ法王の記事で、今回は新しいローマ法王についてだった。翻訳の仕事は頭がとても疲れるため、夕方4時頃終わった途端、ベッドに直行してぐっすり眠る。午後6時頃電話がなって目が覚める。いつものご近所さんのカポッチ家が、夕飯を一緒にどうかと言う電話だった。やった~、ご飯を作らなくてすむ、と二つ返事でOKする。

行ってみると、今日は奥さんのクリスティーナの親戚が誕生日だそうで、16人分のテーブルが用意されていた。いつも思うが、ここはまるで小さなレストランのようだ。旦那さんのイーボが外の大きなグリルで鶏を16羽焼いている。小さい種類のニワトリとは言っても、16羽並んでグルグルまわっていると圧巻だ。いい色に焼けていて、下にしいてある炭火に鶏の脂が落ちてジュージュー音がする。普段は約3、4キロのニワトリをみんなで分けて食べるのだが、今日は鳩くらいの小さな鶏なので一人一羽分あると言う。ウ~ン、ここでファーストフードのフライドチキンを思い出してこの差はなんだろうと思う。

中に入ると今度は暖炉でアンナおばさんが炭火焼のフォカッチャを焼いている。ウワ~おいしそう。いつも思うが、パンやピザの生地が膨らんでいるのを見るとなんとも言えず幸せな気分になる。炭をたくさんしき、グリル用の網を炭の上に置き、直接フォカッチャを網にのせて焼く方法はこの辺りではよく使う。これだと周りがバリッと焼けて炭火の独特の香ばしい匂いも生地につく。それにオーブンで焼くよりずっと水分が蒸発しやすいので、バリッと乾燥した食感がよりよくでて、イタリア人好みの焼き上がりになる。

このフォカッチャに生ハムや生のベーコンなどの干し肉をはさんで夕食がはじまる。ハムやベーコンの塩気とフォカッチャのバリバリ感がおいしくて、いくつでも食べられる。これが終わったらさっきの鶏の丸焼きを一羽ずつ手でバリバリ食べる。皮がパリパリで薄くておいしい。中もしっとりしていて肉の味がダイレクトに伝わる感じだ(もちろん鶏はここで育てたもの)。疲れもふっとび、仕事が終わった安心感もあって食べて飲みまくってしまった。

今日子



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